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2017年11月22日 (水)

吹奏楽コンクールの映像からつれづれ

先日YouTubeで全日本吹奏楽コンクールのBlu-rayダイジェストを見ていたところ,興味を引かれた曲がありました。
オリヴァー・ヴェースピ作曲「アウディヴィ・メディア・ノクテ」という曲です。

九州代表の精華女子高校の自由曲でした。

調べてみたところ,この曲も元々は英国式金管バンド編成のための曲でした。

2011年のヨーロピアン・ブラスバンド・チャンピオンシップの選手権部門の指定課題曲として作曲されたそうです。

まず,この曲が課題曲って恐ろしいですねぇ。

すさまじくテクニカルであると同時に室内楽的な響きが要求される部分もあり,なにより約20分弱とこの手の曲としては非常に長い。

上記の録音とYouTubeの動画は,翌2012年に自由曲に選んだ,オランダのブラスバンド・スホーンホーヴェンの演奏です。曲の終わりにすさまじいスタンディング・オベーションが巻き起こっていますが,このときの得点は100点満点中99点というとんでもない点数で,完全にダークホースだったようです。

精華女子高校はこの曲の吹奏楽版を選んだようですが,部分的なものを見ただけで口が開いてしまうほどすごい演奏でした。

近年,特に全日本吹奏楽コンクールの高校の部は技術力という点ではほとんどの学校にレベルの違いは感じ取れないほどになっています。

その中でこういったヴィルトオーゾ的な要素を見せつける曲をやるのは,意外に怖いところもあるのではないでしょうか。音楽が浅いと感じられてしまうと,こういった曲の面白さもスポイルされて感じられてしまうかもしれません。

もっとも審査員は複数の人がかなり細かいところまで意識しながら聴いていますか,アマチュアの耳からするとわかりにくいところもしっかり評価してくれます。

一方で,少し古めかしいレパートリーである,「だったん人の踊り」や「スペイン奇想曲」などがコンクールのレパートリーとして復活しつつある傾向も見て取れます。

私はテクニカルでリズミカルな曲が好きな傾向がありますが,さすがにそればかりだと耳が疲れますからねぇ。

吹奏楽コンクールが音量大会になってしまわないためにも,クラシックのオーソドックスな曲のアレンジも大事かなと最近は思います。

吹奏楽コンクールの演奏はそこまで好みではありませんが,この突き詰めた感じはありだと思います。ただ続けて聴くのは大変ですよねぇ。審査員は本当に大変です。

地元では,人数が必要でお金もかかる吹奏楽部はだんだん厳しい立場になっていますが,頑張ってほしいものです。

それではごきげんよう。

PCの選び方

パソコンの選び方というのは,何を求めるかによってずいぶん変わってくるように思います。

単純にスペックの数値が良ければそれで良しというわけでもないのが,面白くもあり面倒でもあります。

例えばゲームをするのであれば,グラフィックボードとメモリ,CPUをかなり良いものにしないとストレスが溜まるのではないでしょうか。そのため選ぶのはかなり高額なものになりがちだそうです。

何しろゲーム用では,無線だと位置がずれたり,遅れたりするのが許せないからとキーボードもマウスも有線にするくらいです。

さらには画面の応答速度やインターネットのルーターまで気にするというのですから,とんでもない懲りようです。

自作PCがゲーム関連で多い理由の一つは,こういった数多く細かい要求を市販の一般的なパソコンではなかなか満たせないからでしょう。

同じように,マンガやイラストを描いたり,DTMで音楽を扱うとなると,CPUだけでなくメモリもかなり積んでおかないと,フリーズでやられてしまうことが多いようです。

一方で,一般的な仕事に使うMicrosoftOfficeやWebブラウジングなどは,そこまで高いスペックを要求はしません。

そう考えるとネット関係で音や映像を扱わないのであれば,そこまで高額なパソコンは必要ないということですね。

それでも私の場合,お金の許す限り自分の満足いくレベルにつぎ込みたい気持ちはあります。

自宅の母艦デスクトップですが,最近はiTunesが重くてかなわないのです。CDの取り込みはドライブのある,このPCでしかできないので,しょうがないといえばしょうがないのですが,日本語入力用のATOKが止まってしまうのも痛いんですよねぇ。

メモリは8GあるのですがCPUがそろそろついていけないのかもしれませんねぇ。

Webブラウジングの方は,YouTubeやニコニコ動画などの動画サイトが厳しいです。カクカクしてしまうんですね。これもあって最近は動画視聴はもっぱらiPadです。

そう考えるとこの面倒さがタブレットやスマートフォンに流れていく理由なのかもしれませんね。

パソコンは初期は,詳しい人たちだけのものでした。それが瞬く間に一般化していきましたが,今また詳しい人たちだけが使うものに戻りつつあるのかもしれません。

仕事の上では,私にとってまだまだPCの方が作業はしやすいですが,MicrosoftOfficeあたりは,もうちょっと良くなればiPadだけでも十分に作業ができそうです。

さてPCの利点はいつまで維持されるのでしょう。

そのあたりも含めて,新しいPCを眺めたいですね。

それではごきげんよう。

2017年11月20日 (月)

シューマンの交響曲

さて,つい先日発表されたばかりのマイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団の録音を聴いてみました。

実は,ちゃんとシューマンを聴くのは初めてのような気がします。

ロベルト・シューマンは,評価が高いのはピアノ曲と歌曲でそのジャンルは私がなかなか手を出さないでいる分野です。結果としてなかなか触れる機会のない作曲家の一人です。

交響曲も人によっては,オーケストレーションに問題ありとする人もいるようで,必ずしも高評価というわけではないようですね。

そのあたり,実はどんなものかよくわからないけど,好きな指揮者とオケなのでどんな感じかなと聴いてみたのですが,すごく聴きやすいなという印象です。

これは,このコンビの演奏だからなのか,それともシューマンの作風がそうなのか,まだ確定はできません。

シューマン自身は自殺を何度か試みるなど,精神的に厳しい環境にあった人のようですが,作品の中にそれを感じさせる要素はあまり感じませんね。少なくとも交響曲は,病んだ雰囲気は全く感じません。

もしかしたらピアノ曲や歌曲には,そういった要素が見え隠れするところもあるのでしょうか。

ロマン派の中でも,古典寄りに軸足を置いたスタイルですね。ある意味メンデルスゾーンと近いスタンスだったのではないでしょうか。

私はメンデルスゾーンの作品に非常に惹かれるのですが,シューマンの作品は同じようなスタンスにもかかわらず,メンデルスゾーンの作品ほどのめり込む要素は今のところ感じません。

私にとって,良いなと思うけどハマるほどではないという印象は,シューマンが見いだしたブラームスの作品に対する私のイメージとよく似ています。もう少しじっくり回数を重ねて聴くと印象も変わるかもしれませんね。

または,ミヒャエル・ギーレンのブラームス作品集のように,自分の印象をガラリと変える演奏があるのかもしれません。

いずれにしてもまた少し新しい世界へと少しだけ踏み出しました。この世界が私にとってどんな影響を与えるのか。楽しみでもありますね。さぁ,どうなるでしょう。

それではごきげんよう。

2017年11月18日 (土)

手垢のついたところこそ

今日はちょっと変則で,七尾校からの穴水校でした。

数学で基礎の部分は,塾長の授業でほぼ終わったので,今日は円周角や三平方の定理のプリントを中心にやりました。

今は石川県内の公立中学校は全て同じ教科書ですから,三平方の定理は実質的に最後の単元になりますね。一部の私立中学のみ教科書が違います。また,実質的にというのは標本調査という単元があるのですが,これがどうしても入試ギリギリになってしまうため,ほとんど入試には使われないためです。

そのため石川県では三平方の定理が入試の最後の範囲と言って良いでしょう。

まずは今回基礎的な計算問題を大量にやってもらいました。

このときに計算の工夫をいくつかアドバイスしています。

三平方の基本の計算はこちらですね。


これを斜辺から他の一辺を計算するときに,あまりにもまともにいっていたので,ちょっと手抜きする方法を言ってみたのです。


この場合,右辺が乗法公式で因数分解できますね。これで二桁の2乗などの面倒な計算が解消される場合があります。というかそれを意図して作ってある問題もあります。

こういうものを生徒たちに言うと,なんだか感心されるのですが,これって別に私がすごいわけでは無いですからねぇ。数学という学問がすごいですし,それを発見した先達がすごいです。

さらに言えば,こういった裏技的なものは,私はそんなにたくさんは知りません。そのわずかなものを,知らせてあげると喜んでもらえるのですから,私にとってはちょっとお得ですね。

数学の問題って,意図的にこのような工夫をして欲しいと考えて作ってあるものもあれば,問題作成者の意図しない抜け道が発生する場合もあります。

ただ,問題を解いているときに「もうちょっと楽な方法無いかなぁ」と考えること。そして,そう考えながら多くの問題を解くことによる経験値を貯めること。それによって,ある日突然そういったショートカットが見えてくることがあります。

基本を繰り返しているうちに,自分で工夫をするようになる。それが,実は新しい発想の大元ではないでしょうか。

人がいないところを探して突き進むことも新しい道ではありますが,いろいろな人が歩きまくったところを何度も歩いているうちに,ちょっと違う道が見えてくることもあります。

私個人はそういった手垢のついたところこそ,新しいものを生み出す源泉ではないかと思っています。

学校の勉強という,ある意味手垢のつきまくったところを「マスター」してこそ見えてくるものもあると思いますよ。

「マスター」するために,またしっかり取り組んでいきたいですね。

それではごきげんよう。

ラフマニノフの「交響的舞曲」

最近追加したアルバムの一つにジョン・エリオット・ガーディナー指揮北ドイツ放送交響楽団のものがあります。

セルゲイ・ラフマニノフ作曲「交響的舞曲」とレオシュ・ヤナーチェク作曲「狂詩曲『タラス・ブーリバ』」のカップリングです。

ラフマニノフの「交響的舞曲」は,面白さがまだよくわからないラフマニノフの作品のなかで結構気に入っています。

ガーディナーの解釈はテンポなどはかなり落ち着いているのですが,それでもシャープさを感じる切れのある演奏ですね。

ラフマニノフといえば,生存時はピアニストとしての知名度が高く,「ピアノ協奏曲第2番」や「パガニーニの主題による狂詩曲」など,ピアノをメインに据えた管弦楽曲が特に有名です。

しかし,私は吹奏楽を通して「交響的舞曲」を最初に知ったためでしょうか,そちらのイメージが強いですね。

基本的に,20世紀前半の作曲家としては,ロマン派としてのスタイルを崩さない作品ばかりですね。そのためか生前は保守的すぎると非難されたこともあったようですが,前衛への傾倒と,その揺り戻しのような過剰なロマンティック・スタイルへの指向が通り過ぎた現在,ある意味安定した評価を得た作曲家の一人ではないでしょうか。

「交響的舞曲」は,ラフマニノフの最後の管弦楽作品です。サクソフォンが使われているのが大きな特徴の一つですね。第1楽章に非常に長いソロが与えられています。

また,第3楽章のグレゴリオ聖歌「怒りの日」のかなりしつこい引用が耳に残りますね。

第一楽章が基本4拍子,第2楽章はワルツなので3拍子,第3楽章はスケルツォ的な性格が強いからでしょうか,8分の6拍子や8分の9拍子がメインだったと思います。楽譜を見ていないので正確なところがわかりませんが。非常にリズミックな部分が多く,緩徐部分よりも快速な部分を好む私にはより楽しく感じます。

各楽章が有機的につながっている部分も感じますので,ある意味三楽章形式の交響曲のような扱いもできそうです。また,各楽章もだいたい3部形式のようですね。

クラシックでは時々あることですが自作からの引用も含まれているそうです。その中の一つ「交響曲第1番」ですが,初演が大きな失敗をしてしまったそうで,しばらく作曲ができないくらいダメージを受けたそうです。そんな作品の引用が入っているのは,どんな気持ちだったのでしょうね。

さて,この曲は他に二つの録音が,ライブラリにあります。

一時期好んで聴いていたのはこちらの演奏です。

アシュケナージのお国ものの録音ということと,オーケストラの技術力でかなり良い演奏ではないでしょうか。

ただ,この後のもう一つの録音を聴いた後だと,意外と勢いが強すぎて詰めが甘い部分もありますね。テンポは全体的に速めです。第3楽章のクライマックスで指揮者のうなり声が入っているのが面白いですね。

こちらは大好きな指揮者シャルル・デュトワと初演団体でもあるフィラデルフィア管弦楽団の演奏です。

最初はテンポが落ち着きすぎていて,遅く感じてしまったのですが,聞き込むと奥底にある力強い推進力が感じられて気持ちよいです。一番上のガーディナーのものに比べると重厚感はこちらの方が上かもしれません。

ドイツのオーケストラがキレキレで,アメリカのオーケストラが重厚な演奏というのは日本人のイメージからは逆に感じる部分もあるかもしれませんね。

また,ちょっと探して追加してみようかなと思える曲の一つです。第1楽章の冒頭から前半部分や第3楽章のコーダのラッシュは,クラシック初心者でも楽しいのではないでしょうか。いかがでしょう。

それではごきげんよう。

2017年11月16日 (木)

ストーブ稼働

だいぶ冷え込んできましたね。

昨日は七尾校,今日は穴水校でとうとうストーブの出番です。エアコンは乾燥度合いがきついので,どうしても冬場は石油ファンヒーター石油ストーブに頼らざるを得ませんね。

また,コスト的にもエアコンは暖房の方が電気を消費するそうですから,灯油を使った方がまだましなのかもしれません。

ちなみに私は,わりと最近まで石油ファンヒーターの方が乾燥しやすいと思い込んでいました。実際には,燃焼時に水分を発しているそうなので,湿度的には石油ファンヒーターの方が快適になるそうです。

ただ,個人的に石油ファンヒーターよりも石油ストーブの方が好みだったりします。特に対流式のものが好きですね。

特に上にヤカンなどでお湯を沸かし,その水蒸気で湿度を上げるのが妙に気に入っているようです。

これなどは亡くなった祖父がそういったスタイルを好んでいたからではないかと,勝手に思っています。

祖父はお茶を入れるのが非常に上手く,そのためにポットだけで無く冬場は石油ストーブで常にお湯を沸かしていたものです。建て替える前の幼い頃に住んでいた家は,いろいろと不便はありましたが,囲炉裏があってそこで時々お湯を沸かし,客が来たときなどはそちらでもてなすこともありました。

茅葺きの家でした。雰囲気は良いのですが,住んでいる人間にとっては結構きついものがありましたね。

  • 玄関に農作業のための土間があり,入り口がとても大きな段差があった。
  • トイレはくみ取り式で,玄関にあるため夜はとても暗く非常に怖かった。
  • 風呂も遠く,冬場は風呂から部屋に戻るときに土間を通るので寒かった。
  • その風呂を沸かすのは,薪釜で温度は安定せず,消費もひどかった。
  • 当然シャワーなど無いので,湯船からお湯をくんで使っていた。
  • その薪を割るのが,とても大変だった。(小学生の私の仕事。)
  • 隙間風が多く,日当たりも悪いので,昼でも灯りをつけているところがあった。
  • 茅もかなり限界に来ており,雨漏りがひどかった。

今思うと,外から見た雰囲気以上にきつかったですねぇ。

あと屋根も維持するのがすごい大変ですからねぇ。実は私が生まれてからは変えていなかったように思います。そのせいで余計に屋根からの雨漏りとかがきつかったのでは無いでしょうか。

今は,そういった隙間などはあまりない建物ですが,ガラス張りやコンクリートの建物は見た目以上に冷え込むものです。昨日も窓際の高校生が辛いからというのでストーブをつけましたし。

後はエアコンと同じで,ストーブも部屋の大きさに合ったものを用意しないといけませんね。穴水校のストーブは少し小さいのでエアコンと併用していますが,一説には効率が悪いともいいますからね。なかなか難しいものです。灯油を買いに行くのも一苦労ですしねぇ。

でも,生徒たちに風邪をひかせないためにも,きちんと管理しないといけませんね。気をつけたいところです。

それではごきげんよう。

2017年11月15日 (水)

引用だらけで手抜きです。

  • 「踏んだり蹴ったり」

踏んだり蹴ったりとは、重ね重ねひどい目にあうことのたとえ。また、何度もひどい目にあうことのたとえ。 踏まれた上に蹴られることから、災難が続いて散々な目にあうことをいう。

  • 「泣きっ面に蜂」

泣いてむくんでいる顔をさらに蜂が刺すということから、不運や不幸なことの上に、さらに不幸が重なることをいう。

  • 「弱り目に祟り目」

困っているときに、さらに災難が重なること。不運が重なることのたとえ。 弱っているときに、祟りまで加わるの意味から。

  • 「痛む上に塩を塗る」

悪いことの上に、さらに悪いことが起きることのたとえ。傷ができて痛むところに塩を塗れば、しみてますます痛くなることから。

  • 「一難去ってまた一難」

一つの災難を逃れてほっとしている暇もなく、新たに別の災難が降りかかること。また、次々と災難に見舞われて困惑すること。

なんというか,今日の私はずっとこんな状態でした。

  • 「自業自得」

自分の行いの報いが、自分に降りかかってくること。

この状態であったこともいくつかありますが,本当にきつい一日でした。

なんだかもう気力が全然わいてきません。

  • 禍福は糾える縄の如し

幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえ。

この言葉を胸に明日は生きたいと思います。

それではごきげんよう。





2017年11月14日 (火)

本棚の入れ方

ちょっと気になったことなのですが,本棚の本の並べ方って左から右へ,上から下へという順番になっていることが多いように思います。というか私の整理の仕方がそうです。

しかし考えてみたら,これってなぜなんでしょうね?

どうして本は左から右に並べているのか

ネットで検索してみても,諸説あって「これ!」と断言できる理由がないようです。

私にとっては,背表紙の数字などの並びがアルファベットと同じく左から右へと流れていないと気持ち悪いなぁ,という程度のものです。しかし,いざ逆に並べたらやっぱり違和感がすごいんですよ。

日本語の縦書き文化を考えた場合,右から左の方が合理的なような気もするのですが,左から右の横書き式の方が,違和感がないというのも不思議な感覚です。

縦書きの本だと右綴じなので,順番に積み上げて最新のものを上に持ってきた場合,それをそのまま横向きにしたら,右から左になるはずです。

本棚の中に入れるのと,平積みだとまた変わってくるということですね。

上のまとめにもありましたが,縦書きの背表紙が,西洋の横書き式の検索にピタリと当てはまるというのも,不思議なものです。

お金にはならないけど研究して欲しい分野の一つですね。

でも,お金にならないとやっぱり難しいでしょうねぇ。特に最近は実践的な学問への傾倒が強くなっていて,こういった好奇心を満たすような研究は予算が取りにくいかもしれませんね。

本来大学での研究の面白さって,そういう直接的ではない,好奇心からの研究を受け入れる部分があったのではないかと思うのですが,なかなか難しいものです。

さて,これから大学の研究というのはどういった方向を向いていくのでしょうね。実学一辺倒もちょっとなぁ,と感じます。音楽という娯楽,つまり直接的なお金にならない分野を勉強していた人間としては,もうちょい余裕があって欲しい気もします。もいsかしたら,大学の研究にはそれくらい余裕がないということかもしれません。

お金が直接生み出されないところに,どうお金を回していくのか。これもまた研究の必要があるところかもしれません。

私はさすがにもうする気が起きないので,後世に託したいと思います。その力添えくらいはできるでしょう。

それではごきげんよう。

2017年11月13日 (月)

薬漬けの一日にドビュッシーで安らぎを

今日は一日お休みでしたが,喉の痛みがひどく,ずっと薬漬けの一日でした。

かなりきつかったです。

そんな中,久々にドビュッシーのプレイリストを流しておいたのですが,やっぱり私はこの作曲家の作品が好きなんですねぇ。

オーケストラ関係はほとんどこのアルバムでカバーできると思います。

ピアノ曲集に関してはパスカル・ロジェのものとゾルタン・コチシュのものをライブラリに追加しているのですが,フランス人であるロジェのもの以上にコチシュの演奏がは気に入っているようです。

オーケストラに関しては,自分も勉強したことがあるしスコアなどを眺めてある程度具体的な良さを語ることもできるのですが,ピアノに関しては自分が弾けるわけではないので,どうしても感覚的な聴き方しかできません。

しかしどちらの楽曲に関してもドビュッシーの特長といえば和声なのでしょう。それまでの和声楽の常識からいえば「やってはいけない」こと満載のはずなのですが,それでも人間の生理として,拒否感を覚えるような進行はしていないというのがすごいところだと思います。

もちろん,人によっては着地点の見えにくい動きが拒否感につながるとは思うのですが,そういう部分も含めて私にはすごく魅力的に感じます。

しかし,あらためてWikipediaのドビュッシーの楽曲一覧 を眺めていたら,未完とか紛失とか意外と多いんですね。他にも計画のみとかもかなり見られます。

私自身は,まだ歌曲や室内楽,オペラをあまり聴いていないので,このあたりにも食指を伸ばしていくタイミングに来ているのかなぁ,とも感じています。「弦楽四重奏曲」は大好きなんですけどね。それ以外はあまり知らないので。

完成した唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」ですが,やはり私にとってオペラは音だけでは厳しいように思います。

そうかといってディスクメディアを購入するほどかというと,「うーん,そこまでは」と感じてしまうところもあるんですよね。


オーケストラやピアノ作品は,結構抜粋しても聴けるものが多いようにも感じるのです。これはドビュッシーに限らず,20世紀以降の作品に多く感じる要素です。楽章や楽曲をまたいだ要素はもちろん組み込んであるのですが,それがないと理解不能というわけでもないのです。切れ目のない作品ですら,そういった要素を感じることがあるので,やはり18世紀から19世紀,20世紀と時代が進むにつれて,音楽の要求されるサイズ感はコンパクトになっているのかもしれませんね。

そんななか,オペラはやはりストーリーがあるので,通して聴きたくなるとも思うのです。でも,私にとってはまだまだハードルが高いようです。何より時間が厳しいですねぇ。

オペラに馴染むには,これよりもモーツァルトとかの方が良いのかもしれません。さて,どこから手をつけるべきかな。楽しい悩みどころです。

それではごきげんよう。

アドオンの変更からつれづれ

普段プライベートで愛用しているWebブラウザはFirefoxなのですが,よく使っていたアドオンの挙動がおかしくなり,アンインストールすることにしました。

Xmarksという異なるWebブラウザの間でブックマークを同期させるアドオンです。

一時期はなくなるかもというところまで行ったものがLast Passに買収されて生き残っていたのですが,私個人はいつの間にか各ブラウザで使い分けが多くなりました。そのうえそれぞれのブラウザにブックマークの同期機能が標準で搭載されているので,結果的に不要になってしまったという経緯があります。

二重のバックアップのつもりで使っていたのですが,ブックマークが重複したり,頻繁にログインを求められたりするのでは,便利さよりも煩わしさの方が気になってしまいます。

Firefoxもアドオン関係の言語部分が,近年は使われなくなっており,今年に入ってからレンダリングエンジンを新しいものに置き換えたバージョンでは,多くの旧式アドオンが使えなくなってきているようです。

Firefoxの当初の魅力の一つは,豊富なアドオンによるカスタマイズ性の高さでした。これはGoogle Chromeでもそうでしたし,いつの間にかInternet Explorerなどでも取り入れられていました。

しかし,いつの間にか幅広くカスタマイズ性が高いものよりも,コンパクトで汎用性の高いものの方がWebで求められる要素になりつつあるようにも感じます。

Flashのようにリッチな表現のものより,シンプルなWebサイトの方が好まれる傾向もあるように感じます。

iOSでも先日のiOS11でのアップデートでApp Storeの多くのアプリをふるいにかけていましたね。

以前であれば多くの選択肢を自陣営「のみ」に,より多く用意した方が良かったのですが,いまはマルチデバイス,マルチOSが当たり前のようになっています。

社会的な指向として,「マス」よりも「ニッチ」にシフトしているのかもと,こう言ったものを触りながらふと感じました。

なんだかんだでいわゆるバブル経済崩壊後も,日本の社会は拡大路線的な方向だったのかもしれませんね。

もちろん,今も拡大路線的な指向の業界はあると思うのですが,私の目にする範囲だとちょっとわかりにくいです。

逆に言えば,そういった分野に注目,注力できることがこれから大事になってくるようにも思います。さて,どんな分野でしょうね。私も少しずつ調べていきたいところです。

それではごきげんよう。

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