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音楽

2018年7月16日 (月)

ネリベルからつれづれ

Apple Music いろいろと試行錯誤していたらなんとかなったようです。

と言うわけで今日貼ったのは,先日のカレル・フサに引き続きチェコの作曲家ヴァーツラフ・ネリベルの作品集です。

フサの「プラハのための音楽」は演奏したことがありますが,実はネリベルの作品は自分で演奏したことが一度もありません。

しかし,フサとはまた違った意味で機能性の塊のような音楽を書く人だと思います。

私個人の印象としては,フサがどちらかと言えば哲学的,ネリベルが神秘的と感じています。どちらも絶対音楽的な作風です。しかしフサはより内省的な印象があります。一方ネリベルは,キリスト教の教えが根底に流れているような気がするのです。

タイトルからの影響はあるとは思うのですが,衝撃的な音作りにもかかわらずどこか祈りを思わせるんですね。

「プラハのための音楽」や「交響的断章」「二つの交響的断章」はおよそ50年前の作品です。モダンなスタイルの作品というのは一時期もてはやされた後,今ではまるで時代遅れのような扱いになることもありますが,私はこれらの作品が大好きです。

一時期は「現代的」な手法を使っていない作品は芸術的ではないとけなされました。ところが1990年代くらいでしょうか,その揺り返しのごとくモダンな作品を古くさいとこき下ろすことがあったように思います。なんだか極端から極端へ振れる感じがして,妙な感じですね。

ああ,これって中二病高二病みたいなものかもしれません。

そういう意味では,これらの作品にどっぷりな私はいまだに中二病ということでしょうか。ちょっと複雑です。

そうそう,YouTubeで偶然発見したのですが,結構前の輪島高校が「交響的断章」を演奏して,東日本大会まで進んでいます。人数の不利を感じさせないとても良い演奏です。スッキリしていて見通しが良く,非常に整理された演奏です。今の顧問の先生や生徒たちにはこれにまけないくらいの演奏をしてほしいものです。

ネリベル,一度くらいは演奏しておくべきでしたねぇ。もったいないことをしました。

それではごきげんよう。

2018年7月14日 (土)

プラハのための音楽

仮眠のつもりががっつり一回寝てしまいました。

さて,私が実際に演奏したことのある吹奏楽のための作品で,もっともシリアスなのはカレル・フサ作曲「プラハのための音楽」です。

1968年の「プラハの春」に対する軍事介入,いわゆる「チェコ事件」を知って書かれた作品です。

実際に演奏したときのアンケートでは,難解な曲であったにもかかわらず楽曲のインパクトは強烈なものがあったようです。聴衆にとっては非常に描写的に感じるらしく,特に4楽章は機関銃や戦車をイメージさせるようです。

全体的に怒りや悲しみの感情を強く感じさせる曲調だと思います。もとになった事件を知るとなおさらでしょう。ですが,演奏していたとき,私個人はどちらかと言えば絶対音楽的なアプローチで取り組んでいたように思います。

というのも恐ろしく機能的に作られた曲だと感じたからです。プレイヤーは背景を理解したうえで,複雑なスコアの中での役割をどう果たすかが問われる曲ではないかと思います。

第1楽章「序奏とファンファーレ」では,静かにティンパニによって演奏されるフス教徒の戦いの歌「汝ら,神とその法の戦士たち」の断片のうえにピッコロが長大なソロを奏でます。

ユーフォニアムパートは,この序奏部分ではほぼずっとミュートを挿したままだった記憶があります。そのうえで長い長いクレッシェンドの末に爆発するようにトランペットのファンファーレが鳴り響きます。

そのファンファーレも輝かしいものではありません。

この曲は全体的に調性がほとんど感じられず,かつわかりやすい旋律は「汝ら,神とその法の戦士たち」と,このファンファーレの動きくらいしかありません。ピッコロのソロの旋律は非常に器楽的で,ある種断片の集まりのような性格もあり,歌いやすいものではないと思います。

その分,このファンファーレは非常に印象に残る思います。

そのうえで16分音符による動きが絡まり合うように高まります。途中でおそらく2楽章の主題と思われる動きもからまり,その頂点で再び「汝ら,神とその法の戦士たち」が高らかに鳴り響きます。その後4楽章にも出てくる3連符の動きをともないながらクライマックスを奏でて,再びしずまりピッコロのソロへと戻ります。

スコアを研究したわけではないので,きちんとそれぞれの主題を把握しているわけではありませんが,この第1楽章でほぼ全ての主題が使われていると思います。

第2楽章「アリア」では,1楽章以上に旋律らしい旋律がありません。」

アリアと言う言葉は本来は叙情的な旋律を持つ歌を表す言葉です。それにもかかわらず,この楽章はどちらかと言えば和声の積み重ねが主体となってできていると思います。その和声もどちらかと言えば不協和なものが多く,多くの人は聴いていてもスッキリしないでしょう。

わかりやすい「泣ける」感じは全くありません。その分強い感情が感じられるでしょう。

もっとも演奏したときは,拍をカウントするのに必死だった記憶があります。わかりやすい旋律がないということは,一度場所を見失うとほぼ復帰できないのです。

演奏する側と聴く側の心の違いがある意味で際立つ楽章だと思います。

第3楽章「間奏曲」は打楽器のみの短い楽章です。

響き線を外したスネアドラムの静かな動きをともなって,鍵盤打楽器の不可思議で断片的な動きが続きます。途中でサスペンディッド・シンバルを柔らかいマレットでたたく音や,銅鑼をトライアングルのビーターでひっかくような音があるように聞こえます。普通はシンバルや銅鑼は衝撃的な音を使うことが多いですが,静かな中に使われる手法が盛りだくさんです。

その後,響き線を戻したスネアドラムのロールが始まり,そこにさらに複数台のスネアのロールが重なっていきます。そのロールのクレッシェンドが頂点に達したところで第4楽章になだれ込みます。

ここは管楽器は完全にお休みで,「Tacet」と楽譜自体が全くないので数える必要もありません。ある意味中休みのできるところですが,打楽器奏者はまたもやカウント地獄です。今思うと,だれか落ちてたんじゃないかなぁ。違和感あったので。

そして第4楽章「トッカータとコラール」,終曲です。

第1楽章にも出てきた機関銃を思わせる音型で衝撃的に始まります。

この楽章実際に演奏するまで8分の6拍子だとわかりませんでした。最初の音型を拍子を変えながら演奏していると思っていました。

2つ振りに感じる8分の6拍子のなかに,奇数の音符の塊を入れてズレをおこしています。これがおそらく変拍子のように聞こえる原因でしょう。

中間で1楽章のファンファーレが再現されるところからテンポが加速していきます。たたみかけた最後のところでいったん静寂に戻ります。再びティンパニによる「汝ら,神とその法の戦士たち」の断片が繰り返され,そのうえに管楽器の長い長いクレッシェンドが続き,金管楽器で「汝ら,神とその法の戦士たち」が鳴り響きます。

そして,コラールの最後の音を金管楽器がひたすら吹き伸ばす中,木管楽器の拍を指定されない動きが乱れ飛び,そこにスネアが一定のリズムの音型をたたくというカオスな状況。突然音が途切れスネアのリズムだけが残ります。

そして再び全合奏によるコラールで曲を閉じます。

終止感が全くないので,おそらく初めて聴いた人は「えっ,終わったの」と思う可能性が高いと思います。私もそうでした。

最初の方で書いたように,ある種悲劇的な出来事に基づいて書かれた曲ですから,どうしたもその背景を思わざるをえません。ですが,実際に演奏する際には,まず楽譜を再現するだけで一苦労です。作曲された背景まで込めるには,まずそれができるだけの技術が必要です。それがうえに書いたような絶対音楽的なアプローチになった原因でもあると思います。

しかし,旋律が全くと言っていいほどないにもかかわらず,演奏していてとても楽しかった記憶があります。

フス派の始まりであるヤン・フスはいわゆる宗教改革の先駆けでした。チェコはフス戦争当時,様々な理由で苦しい状況にあったようです。「汝ら,神とその法の戦士たち」は,そのフス戦争の戦いの象徴のような曲でもあるようです。抵抗の象徴そのものだったのでしょう。

チェコ人であるフサがこの歌を主題の1つに選んだ意味を,きちんと考えないといけないでしょうね。

ちなみに巨大な編成としっかりした技術を要する曲なのですが,吹奏楽コンクールで度々演奏されます。なんとコンクールで最初に演奏したのは中学生だそうです。もちろん時間制限があるので,20分くらいのこの曲を全て演奏したわけではありませんが,とんでもないですね。自分が演奏したからこそそのすごさを強く感じます。

この曲,本気で取り組む場合,楽譜へのアプローチと周辺情報へのアプローチで大変です。ですが,それだけの価値のある曲だと思います。

アマチュアでは大変だとは思いますし,中高生が全曲やるのは体力的に厳しいかもしれませんが,こういう曲にも挑戦して欲しいですね。

それではごきげんよう。

2018年7月 7日 (土)

フィンランディアからつれづれ

フィンランドの作曲家と言えば特に有名なのはジャン・シベリウスですね。

その中でも特に有名なのは「交響詩『フィンランディア』」でしょう。

この曲はあまりにも愛国心をあおりすぎるとして,帝政ロシアから演奏禁止処分を受けたのは有名な話ですね。

フィンランドはWikipediaで歴史を見ると征服されるのと独立を繰り返していたようです。そのためかこの曲が持つ強烈なメッセージを恐れたと言うことのようです。

フィンランドと言えば,福祉の充実した国というイメージも強いですね。また,教育に関してもなかなか面白い取り組みになっているようです。低学力層への手当が厚いとのことですが,実は義務教育にも留年があるなど,受験システムではない厳しさが要求されているようです。

そんななかで人口のわりにはかなり著名な音楽家を出しています。今の教育システムはいつから始まったかまではわかりませんが,上記のような教育の方針が文化的なものに影響しているのかもしれませんね。

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楽譜はFinlandia, Op.26 (Sibelius, Jean) からダウンロードできます。

さてこの楽譜をみてちょっと驚いたことがあります。

トランペット奏者がB管,C管,D管,Es管など,様々な管長のトランペットを使い分けていることは知っていましたが,不勉強なものでオーケストラスコアでF管のトランペットで指定してある理由を知りませんでした。

Toshi TP Atelier

こちらの記事に詳しくありますが,もともと19世紀に使われていたトランペットは管の長いものが多かったようで,特にバルブシステムができた後,よく使われていたのがF管ということのようです。

ややこしいんですが,現在のオーケストラではF管はほぼ使われず,F管指定の楽譜であってもB管かC管で演奏してしまうようです。

ただ,楽譜を見ていくと結構低いんですよね。読み替え自体はなんとかなりますが,これB管で音が出るのかなと不思議に思いました。

ちなみに,F管はかなり音が当てにくいそうです。また,現在のトランペットほど華やかな音にはならないそうです。もっとも録音だけでわかるのかと言われると,多分私には無理だと思います。現在の楽器の性能向上と,奏者の技量の向上で現在の楽器でも当時の音色を意識して演奏するそうですから。

最後に,この曲は映画「ダイハード2」のクライマックスで使われたことで,日本人の一部には知られています。抑圧からの解放というテーマを持った曲はベートーヴェンをはじめとして結構あるのですが,なぜこの曲が選ばれたのでしょうか。一応,監督がフィンランド人だったのでという説明はあるのですが,深い理由があるのか,それとももっとも身近だった曲を選んだだけなのか,ちょっと気になりますね。

曲の背景からオーケストレーション,使用されたものまで書くことはいろいろあるんですが,なかなかとっちらかってしまってうまくいかないものです。また,いろいろな曲で何度も書いてみて,もっと上手くできるようになりたいものです。

それではごきげんよう。

2018年7月 1日 (日)

オケの配置

今日は帰ってきたら,NHKのクラシック倶楽部でジャン・シベリウス作曲「4つの伝説曲」をパーヴォ・ヤルヴィの指揮でやっていました。

3曲目の「トゥオネラの白鳥」が突出して有名ですが,時間の関係で私が見たのは終曲の「レンミンカイネンの帰郷」でした。

オーケストラの配置は通常はこんな感じでしょうか。

              打楽器

 

   ホルン トランペット トロンボーン (テューバ)

 

        クラリネット ファゴット

 

          フルート オーボエ

 

      第2ヴァイオリン ヴィオラ    コントラバス

 

第1ヴァイオリン          チェロ

打楽器が下手側に降りる場合と,金管楽器がトランペットとトロンボーンが縦に並ぶことがあったりして,若干の変化はありますが弦楽器が前,管楽器と打楽器が後ろというのはあまり変わりません。

大きく変わってくるのは弦楽器かもしれません。

現在のように左から右にだんだん楽器が低くなっていくのは,録音が発明されてからと言う話を聞いたことがあります。モノラル録音の時代に奥行き感を出すために高音から低音にきちんと並ぶようにしたと言う説があるようです。

今はちゃんと複数のチャンネルの録音があることで,昔の配置に戻していることもあります。

例えば対向配置というベートーヴェンなどの時代の並び方があります。

             打楽器 

   ホルン トランペット トロンボーン (テューバ)

 

        クラリネット ファゴット

 

  コントラバス フルート オーボエ

 

         チェロ    ヴィオラ    

 

第1ヴァイオリン          第2ヴァイオリン

今回のN響の演奏はこの形でした。

音響的には最初の配置の方が弦楽器は響きが豊かになるようなんですが,ベートーヴェンの交響曲などは,対向配置まで意識した作曲をしていることが多いので,その方が効果的に感じることもあるようです。

ただ録音だと相当良いヘッドフォンかサラウンド効果のあるスピーカーでないと,恩恵は受けにくいかもしれません。

生のコンサートだとだいぶ違ってきますね。

こういった配置をどうするかというのも指揮者にとって非常に悩みどころだと思います。

プロであれば,楽曲の性格を一番に考えると思いますが,アマチュアですと対向配置だと演奏しにくい場合もあり対向配置を諦めることもあるようです。

吹奏楽などは楽器の音の指向性が弦楽器よりも強いので,実はセッティングはより考えないとバランスがあっさり崩れます。

もし機会があったら,吹奏楽部の並び方を見てください。ときどき意外なところに,意外な楽器がいるかもしれませんよ。

こういった視覚からも音楽を楽しんでみませんか。

それではごきげんよう。

2018年6月24日 (日)

ラウタヴァーラをBGMにしてみる?

先日,追加してみたエイノユハニ・ラウタヴァーラの一連の作品ですが,私にとっては金管楽器のための作品が一番馴染みやすかったようです。

特に出世作といわれる「我らの時代のレクイエム」は,結構気に入りました。

動画ではユーフォニアムが吹いていますが,ちゃんと楽譜上にパートとしてあるんでしょうか?そうだったら嬉しいですね。ユーフォニアムはこういった金管楽器の室内楽でも,新しいためか出番がないことが多いので。

ちなみに吹奏楽のための作品もありました。「『告知』~オルガン、金管楽器と交響吹奏楽のための協奏曲~」というものです。

モダンではありますが,比較的聴きやすい部類だと思います。しかし,軍楽隊の系譜ではなく,日本での吹奏楽部がよく演奏するような作品でもないため,モダン系に慣れていない人にはわかりにくいかもしれませんね。イケイケドンドンのマーチ風ではないことは確かです。

音楽では「旋律」「リズム」「和音」そして「構造」という,複数の要素がそれぞれ組み合わさってできています。

だいたいどの作品もこれらのバランスが良くできているものですが,そのなかでも作曲者の重心が一番大きいものというのは感じられるように思います。

ラウタヴァーラの場合は「和音」,つまり響きが一番比重が大きいように感じました。

私の好きな作曲家で,各要素の比重の高い作曲家というと,「旋律」はドヴォルザーク,「リズム」は伊福部昭,「和音」はドビュッシー,そして「構造」はバッハとラヴェルといったところでしょうか。

構造が際立つのはベートーヴェンやブラームスだと思うのですが,「好き」とはちょっと違うように思うのであえて外しました。

中にはモーツァルトのように全ての面で尖っているのにバランスが取れている変態もいますが。

ラウタヴァーラに話を戻すと,どの作品を聴いても強烈なビートはそこまで感じません。連続するオスティナートとしてのリズムよりも,ゆらゆらと揺らぎを感じさせるリズムが主体のように思います。そのうえで時折打ち込まれる強い音がアクセントとして効いてきます。

全体的に真剣に聴くだけでなく,BGMとしても良い感じになりそうです。結構不協和音もでてくるのですが,それ以上に音のただよう空間の手触りが柔らかく,不協和音に対する忌避感があまり感じられないのです。

晩年の作品はより神秘性に軸足を置いたものが多いので,よりじっくりと音の空間に浸れるものが多いのではないでしょうか。

上記の「『告知』~オルガン、金管楽器と交響吹奏楽のための協奏曲~」も収録されている録音にある「交響曲第七番『光の天使』」は,特に神秘性と聴きやすさのバランスが良くて,ゆったりした部分が多い音楽なのに,しっかりと引き込まれる感じが強いですね。

今度こっそりBGMとして流してみますかね。流してあっても反応しなさそうな曲が多いですが,逆にこういったものに反応する感度の良い生徒がいると面白いですね。さてどうなるでしょう。

それではごきげんよう。

2018年6月22日 (金)

グリエールとアーノルド聴き比べ

今日は所用で金沢まで出かけたのですが,よく利用していたインドカリーのお店が閉店していてちょっと残念でした。別のところでインドカリーを食べてそれもおいしかったのですが,脳内にあるお店との違いで少しだけ物足りなかったです。

さてその行き帰りのBGMにレインゴリト・グリエール作曲「青銅の騎士」と「ホルン協奏曲」の録音を聴きながら,移動していました。

「青銅の騎士」は吹奏楽コンクールで良く名前が上がっているのですが,実は聴いたことがなかったんですね。

BBCフィルハーモニックの別の録音を聴いていたら,お勧めに出てきたので聴いてみたのですが,これ私には今のところ面白さがよくわかりません。

とても美しく,劇的なところもあり,ロマンティックで良い曲だと思うのですが,演奏の解釈が合わないのか曲との相性が悪いのか,どうにもよくわからないのです。

とても聴きやすい曲なのになぜか曲に入れないというのはたまにありますが,これもまた違う演奏に出会えたら変わるのかもしれませんね。ただ,そこまでしてもう一度聴きたいかと言われると,首をかしげてしまうのですが。

これと同じような感じになるのがポール・デュカス作曲「魔法使いの弟子」です。

これも聴いていて良い曲なのはわかるけど,なにか物足りない気持ちになってしまいますね。

その一方で出来が良いかと聞かれると少し悩むけど,妙に楽しい作品というのもあります。

マルコム・アーノルドの序曲集は,深みは感じませんが非常に楽しく聴くことができますし,面白いと感じます。

比較的知名度の高い「ピータールー序曲」や「タム・オ・シャンター序曲」などは,シリアスな要素も多いですが,それでも明快で,ある意味映像音楽的な要素も多く,わかりやすいです。

私個人は交響曲よりも,これらの管弦楽小品のほうがアーノルドの作品の中では好みなようです。

特に今回初めて聴いた「大大序曲」は,おかしかった。

3台の電気掃除機と1台の床磨き機を「独奏者」としてスコアに指示してあるそうです。しかもメーカー・型番・ピッチまで指定。

ある意味無駄に華やかな管弦楽の中に,突如入ってくる掃除機の音があまりにもシュールです。そして途中でライフルで撃ち殺される掃除機の独奏者たち。どうやら掃除機の音があまりにもうるさかったようです。

残り3分の1くらいからパイプオルガンも鳴り響き,やかましいこと。そしてしつこい。

掃除機とライフルの音がなければある意味ただの華やかな序曲でしかないのですが。イギリス人のジョークのセンスはよくわかりません。でも曲の面白さはかなり刺さるタイプですね。

構成はやや緩い感じがしますが,オーケストレーションが非常に上手いとも感じます。

もっとはじけた演奏もあるらしいのですが,上記の演奏は非常に真面目な演奏です。しかし,その真面目さが掃除機の音のシュールさをより際立たせます。真面目さ故の天然ボケのような演奏になっているような気がします。

出来が良いからと言って万人に受け入れられるわけでもないですし,知名度が低いからと言って出来が悪いとも限りません。音楽ってそういうところも面白いですよねぇ。

さて聴いてみた方,どちらの方が刺さりますか?

それではごきげんよう。

2018年6月16日 (土)

久々にレッスン

今日は親戚の頼みで久々にユーフォニアムとテューバのレッスンをしてきました。

一人あたり30分ずつ5人,最後に5人全員でやりましたが,その間に曲についてはまったくやりませんでした。

呼吸の方法,音程のイメージ,音色のイメージ,全てが足りずに楽譜に振り回されていたのであろうことが予測される状況でした。

おそらくつまらなかった可能性が高いとは思います。本当に基礎ばかりやりましたから。

ですが,あのまま曲を演奏してもできないストレスが溜まる一方で,結局何も楽しくないという状況にハマってしまうのではと思い,あえてそちらばかりやりました。

また,イメージをすること,そしてそれをお互いに話し合い,その考えを押しつけ合うのではなく共有することをそれぞれに何度も繰り返しました。

それでもおそらく情報量はかなり多かったでしょうから,7~8割は抜けてしまうでしょう。

結局たった1回のレッスンでできることは,気づきのきっかけを与えてあげることだけなのです。

今日,私が言ったこと,生徒たちが体験したことの中から,「自分で」選び取るものが一つでもあれば良いのですが。

しかし,久々に見ると,慣れていない学生の演奏は私にとって非常にわかりやすいです。

一つ言ったことを気にすると,その前に言ったことが抜け落ちる。または,音のイメージや呼吸の準備が足りていない。そういったものがわかりやすく音に出ます。

自分の中にある音を出すのではなく,とにかく必要な手順を踏んだら音が出たというのが,よくわかりますねぇ。生徒たちは真面目にやっているのですが,そういった準備のようなものをうまく伝えてもらわずに,なんとなくでやっていたこともよくわかりました。

特にきちんとイメージを用意することをしつこく言ったのですが,さてどこまで残るやら。

本当は私がもっと上手く演奏してあげられたら良かったのですが,数年ぶりに楽器を吹くとまず体力の落ち方にへこみます。

そして何より音程が悪い。いやあ自分で吹いていて音程の悪さに気持ち悪くなりました。

さらに音域も狭くなっていましたねぇ。

「ユーフォニアム 音域」の画像検索結果

本来は上記の画像のホルンと同じくらい出るのですが,3度くらいずつ出なくなっていました。高音低音の音質もいまいちでしたね。

それでも生徒はちょっとびっくりした目で見てくるのですから,良い音を聞く環境がないというのはなかなか厳しいものです。

CDで良いからしっかりプロのの良い音を聞いて欲しいですね。とかく中高生はプロよりも全国金賞の中高生の音を評価しがちですし,そっち系の音源ばかり聴きますからねぇ。

久々で私もちょっと楽しかったです。またこういう機会があると嬉しいですねぇ。

それではごきげんよう。

2018年6月 7日 (木)

ラウタヴァーラって面白そう

先日、追加したある録音でまた新しい作曲家に出会いました。

エイノユハニ・ラウタヴァーラ

北欧、フィンランドの20世紀を代表する作曲家の一人だそうです。

きっかけになったのは、チェロ奏者ヤーノシュ・シュタルケルの20世紀のチェロ協奏曲の録音です。

もともとヤーノシュ・シュタルケルの演奏はコダーイの「無伴奏チェロソナタ」をはじめとして、古い録音にもかかわらず非常に好みの演奏と曲目が多かったので、何の気なしに新譜に出ていたこの録音を追加したのです。

正直言って最初の目当てはヒンデミットの「チェロ協奏曲」でした。プロコフィエフの「シンフォニア・コンチェルタンテ」も一度別の録音で聴いたことがあり、面白いとわかっていた中でラウタヴァーラが完全にノーマークでした。

北欧の作曲家といえば「フィンランディア」が有名なジャン・シベリウスや「ペール・ギュント」でしられるエドヴァルト・グリーグがいますが、知名度がありそうでない作曲家がゴロゴロいそうです。

モダンな要素は多いのですが、私にとってはかなり聴きやすいスタイルです。ラウタヴァーラはつい最近まで存命だったので、かなりいろいろなスタイルを経て、最終的には「ラウタヴァーラ」としか言いようのないスタイルに落ち着いたようです。

ひとまず交響曲、協奏曲、室内楽曲、弦楽オーケストラの作品集を登録しましたが、流石に量が多いのでまだ聴けていません。

まずは、グラミー賞にノミネートされたという「交響曲第7番『光の天使』」の録音から行ってみようかと思います。

他にも、鳥の声を録音したテープとオーケストラの共演する協奏曲「鳥と管弦楽のための協奏曲『カントゥス・アルティクス(北の歌)』」も気になります。

まずは全集から聴いてみて、好みの曲を見つけて個別の録音を探していくとしますか。

意外と録音も多いようですから、面白いものに出会えると期待しています。

さて、こういう曲あまり縁のない人にはどんな風に聞こえるんでしょうね。ちょっと気になります。

それではごきげんよう。

2018年5月30日 (水)

ファリャの代表作

うーむ,今日はApple Musicのマーケティングツールを利用する際に,米国にして検索してみたのですが,これだとちゃんとPlayerが出てきますね。一応SpotifyのPlayerも貼っておきますか。

一体何が違うのやら。よくわかりませんが他の方にはPlayerが見えているのでしょうか?

マヌエル・デ・ファリャは19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したスペインの作曲家です。

特に有名なのは2曲のバレエ音楽「三角帽子」と「恋は魔術師」ですね。この録音はその2曲に「サルスエラ『はかなき人生』」の間奏曲を合わせたものです。

私はこれ以外のファリャの作品は「スペインの夜の庭」くらいしかしりません。

特に「三角帽子」と「恋は魔術師」の2曲は,スペインの民族舞曲のリズムを取り入れて昇華しており,人気が出たのもうなずけます。

この2曲は声楽が非常に効果的に使われており,出番は多くないものの,もし楽器に置き換えたらやや物足りないのではないでしょうか。

「三角帽子」の序奏は3拍子のティンパニの連打に3連符のファンファーレが重なった後,カスタネットのトレモロと「オーレ」のかけ声がかかり,ここだけでもスペインの雰囲気がたっぷりです。情熱的なメゾソプラノの独唱を挟んで再びファンファーレが鳴り響いたあと,本編に入ります。

本編の雰囲気はどこかけだるげなものがあり,ラヴェルやドビュッシーの影響もあるようです。実際,書法などが似ているというわけでもないのですが,ラヴェルの「スペイン狂詩曲」やドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と共通の雰囲気が感じられます。

第2部中盤の「粉屋の踊り」と,フィナーレである「終幕の踊り」は吹奏楽でも演奏されることもあり,吹奏楽部の中高生が意外に知っている曲の1つになっています。

最初に貼ったエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の録音は初期のデッカレーベルの録音でも評価の高かったものです。

さらにアンセルメは「三角帽子」の初演者でもありました。もともと数学者でもあったアンセルメの緻密な音楽作りが活きた演奏だと思います。

スペインはクラシック,特にオーケストラの作曲家は有名どころがそこまでいないイメージです。その中でも比較的有名なファリャの代表作。スペイン情緒とオーケストラの面白さを同時に味わえるものだと思います。まずは「三角帽子」の「序奏」,「粉屋の踊り」,「終幕の踊り」と,「恋は魔術師」の「火祭りの踊り」だけでもいかがでしょう。

ぜひお試しください。

それではごきげんよう。

2018年5月17日 (木)

メンデルスゾーンの弦楽のための交響曲

メンデルスゾーンはかなり早熟な天才だったと聞きます。

私の大好きな「弦楽八重奏曲」も16歳のときの作品とは思えない完成度です。

そんなメンデルスゾーンの早熟さの最大の現れは「『夏の夜の夢』序曲」でしょう。

これも17歳の時の作品ですね。

どうも私はメンデルスゾーンの作品でも特にこれらの若い時期の作品に好きなものが多いようです。

きっかけとなった「吹奏楽のための序曲」も,原型は15歳の時の作品ですね。

そんな若いときの作品でも特に初期のものが「弦楽のための交響曲」です。

初めて聴きましたが,特に初期の曲はバッハの影響が如実に表れているような気がします。これも12歳から14歳の時の作品で,なおかつ身内のためだけの作品だというのだから驚きです。

特に長調の作品は非常に聴き心地がよく,素直に楽しめる曲ではないでしょうか。全体的に短めのものが多いのも入りやすいのではと思います。

思うにメンデルスゾーンはロマン派の皮を被った古典派スタイルではないでしょうか。Wikipediaにもありましたが,同時代の作曲家に比べてかなり保守的なスタイルを貫いています。それはこういった初期作品から一貫して変わっていないように感じます。

「吹奏楽のための序曲」もかなりしっかりしたソナタ形式でしたから,あの曲を演奏したことは非常に良い経験だったとあらためて思いますね。

私はバッハもかなり好みの作曲家ですから,そのバッハに傾倒していたメンデルスゾーンの作品に惹かれるのは,ある意味当然なのかもしれません。

メンデルスゾーンといえば「マタイ受難曲」を蘇演し,忘れられていたバッハの再評価を促したことで有名です。

バッハの宗教曲は,私にとってまだまだ難解です。それでも強い魅力をもった曲ばかりです。

メンデルスゾーンにとって「マタイ受難曲」は,大好きな演奏したくてしょうがない曲だったのでしょうね。

こうなるとメンデルスゾーンの管弦楽曲や室内楽曲だけでなく,宗教音楽や器楽曲にも手を出していきたくなりますね。交響曲などは一通り聴いてみたので,いよいよこのあたりを開拓していく時期に来たのかなとも思います。

また,Apple Music をあさっていくことにします。

それではごきげんよう。

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